2022年のゴールデンウイーク

令和4年のゴールデンウィーク

最大で10日の休日がとれる年

コロナウィルスがまだまだ収まるような状況でも無く、戦争が起こり、円安が続き、物価が高騰する今年のゴールデンウイーク うちも火の車・・・

私は会社員ですが自宅で出来る仕事なので毎日休みのようなものです。主人の扶養に入っています。力いっぱい仕事をしていません。だいたいの事務仕事は以前の事務所でおぼえたので今はのんびりやっています。日中誰にも会わないし電話も留守電にしています。がんの病気をしたのでストレスをかかえないように自分をいたわりながら手伝いをしています。今の状況になるまでの20年はせわしいものでした。

主人は毎日仕事に出ています。会社でお弁当をとっているので平日は私が昼食を作る事はありません。私のお昼ご飯は簡単に済ませています。昨日の夕飯の残りや、インスタント食品・・・病気をしたので食事に気を使わないといけませんね。野菜ジュースや緑の葉物は食べるようにしています。今のお気に入りは生のニラ1束を刻んでふた付きの容器に入れて、だし醬油とごま油を適量入れて味付けをして小スプーンを入れて冷蔵庫で保存をしてご飯や、豆腐に乗せたりして美味しく食べています。作ったら直ぐに食べられるし茹でたりしないので簡単で気に入っています。

ニラを刻む時はまな板代わりに牛乳パックや主人の焼酎紙パックを再利用しています。汚れたらそのまま捨てられるからいいですねー。今100円市やスーパーマーケットでもビニール製(PEVA)のカッティングシートが売られていますが私は肉や魚を包丁で切る時に使っています。耐久性があって包丁で切っても穴があいたりしないので洗剤で洗えば何度でも使えてとても経済的で便利です。うちのまな板は100円市のペラペラのプラスチック製ですが紙パックやカッティングシートをのせて使っているので長持ちしています。・・・食後のチョコ菓子がやめられません。1日のスケジュールを誰にも縛られず仕事も生活も自分で決めて過ごせる幸せを感じています。20年間がんばってきたご褒美だと思って生きています。

その私のお給料は食費と保険と雑費で消えていきます。今はお金の余裕がありませんが時間の余裕はあるので趣味も出来ます。プランターにプチトマトの苗を植えました。庭の花壇の水やりのついでなので苦にならず趣味と実益を兼ねています。食べられる趣味ですね。主人と2人分なので彩りで少し食べられればいいのです。毎年プチトマトは植えています。必ず実が付いてくれるので安心して植えています。トマト用の土も売っているし、去年の土を再生する土もあるので再利用したりしています。芋虫が出てきたらビックリしています。

ドライブ~

主人は仕事人間なのでゴールデンウイークの休みは2日だけでした。私は毎日がお休みのようなものですが1人で出かける趣味はありません。食材を買い出しに出るついでに洋服を見る程度です。でも出かけたらあれもこれもと見てしまいます。探求心は旺盛です。たった2日の休日でしたが、主人と相談して地元をドライブすることに決めました。ゴールデンウイーク中の日曜日に地元の農業観光地で野菜を買ったり公園を散歩したりフリーマーケットで調理道具を購入したりして充実した1日になりました。次の日その調理道具でミニミートローフ(1人分x2個)をレンジで作りました。レンジだとおいしい肉汁が閉じ込められて、いい感じに出来ました。焼き目が無くても上からケチャップとソースで作ったタレをかけるので大丈夫でした。ニンジンとゆで卵を入れたのでボリュームもあり、かわいい容器でそのまま食卓に出しました。ハンバーグ作りは苦手ですがこれは容器に詰めてレンチンなので簡単だし色々な野菜を今後入れてみようと思います。

ゴールデンウイークの終盤の休みは神社に参拝したり海岸線をドライブしたり初めて入るスーパーで買い物をしたりしました。夫婦だけでドライブをする事はたまにしか無かったので1日地元を散策出来てリフレッシュしました。コロナの影響で県外に出かける勇気はないので当分は主人と県内をドライブしようと話合いました。私は運転が苦手なので遠出ができませんが、主人は出かける事が苦にならない人なので私が目的地を決めて検索しておいてもらい連れて行ってくれます。私にとっては理想の夫婦生活なのでお互い元気な内に色々な場所に行って思い出を作ろうと夢みています。20数年間ぶりのご褒美だと思って、楽しい経験を夫婦で重ねていきたいです。私は自宅が好きなのですが、そろそろ旅行などもコロナが落ち着いたら行きたいです。なんとか節約して旅費を貯めたいです。つい最近まで自分の中では有り得ないような事が次から次へと起こっていたのでそのための後始末でもうスッカラカンです。なんとかやり過ごしたので、これからは夢や希望を持って新しい経験を増やしていけたらいいなと期待しています。

神社参拝

この度行った神社は初めての所で天照大御神様ほか沢山の神様がまつられていました。おみくじを引きました。2人とも大吉でした。初めての神社でしたが受け入れて頂けたような感じがしてとてもうれしかったです。ご縁をいただき感謝しながら参拝させてもらいました。御朱印を購入しました。地元の方々が神社の提灯などを取り付けたり掃除をされていてにぎやかでした。この神社の山頂に猿田彦神様をまつっている神社もあると調べていたのですが、道順がgoogleマップに載っていないのでどうしようかと不安だったので掃除をしていた地元のおじさん達に聞いたら皆、神社を出た順路を教えてくれそうだったのに1人のおじさんが「こっちこっち」と神社の中から行ける参道を教えてくれました。私たちも参拝の途中で看板があったので”ここからいけるのかな~?と不安だったので尋ねたのですが、おじさんいわく「自分は久しく登ったことが無いけど、山を左上に登りなさい。イノシシが出るかもしれんが。」と言い残し・・御礼を言ってやっぱり不安でしたが地元の人が言うんだから大丈夫だろうと主人と参道に入って行きました。

参道と言える道は無く獣道そのもの・・・ヤバいと思いましたが地元の人が教えてくれた手前、引き返すことも出来ずとにかく山を登って行きました。全く整備されていないので道なき山を登っていく。途中に右に行くような道のようなものがありました。主人に「あれー道のような感じにみえるねー」とあまりに道らしいものが無かったために、もしかしてその右側の道らしい通りが参道ではないのか?と思いましたが、主人が「さっき左上に向かってあがるように言ってたし。」と言われて迷いながら”そうだよなー信じて登ってみよう”と右には行かずに左・・左上に向かって行きました。もう引き返すにも、下を見下ろしても道が無さ過ぎて迷子状態で降りることもできませんでした。ビビりまくりながら光が漏れている場所をめざして登りました。そして山頂の山道にたどり着く事ができました。助かったー💦という気持ちになる参道でした。***どうか山の木にでもいいので神社までの道順の矢印のプレートでいいので印のようなものを取り付けてもらえれば子供さんなどアスレチック気分で山頂の神社に参拝できると思いますし、私も案内板があればまた山道を登ってもいいかな~と帰ってから思いました。山をなめてはいけませんよー。地元の人も登らない参道だからって、道ないよ・・とほほ

たどり着いた山道は二手に分かれていて左側に神社の建物が見えたので左に向かって歩きました。私たちは焦ってしまい二手に分かれた場所に出た時右側の道を確認すること無く左に行ってしまいましたが・・・多分右側の道はコンクリートで整備された道だったと思います。しかしその道の入り口がわからないので今後どうしようかなー?という思いです。なんとか左の道を進むと神社の裏手から入れました。無事に神社にたどり着く事が出来たのですが地元の人に声かけもせずに参道に入っていたら本当に迷子になるところでした。この日たまたま地元の人がいてくれて助かりました。この日は天気が良くて気候も汗ばむ程度だったので良かったのですが、雨の日や夏は私達が登ったこの参道は年配の方は厳しいでしょう。やめておいたほうがいいとしか言えません。しかしこの度は神社がにぎやかだったためかイノシシが出ることも無く方向を教えてもらえたのでハラハラドキドキしましたが、ご縁をいただき神社に参拝出来て良かったです。

少し休んで帰りは恐ろしいので元の山道には戻らずに反対の鳥居のあるほうで帰ることにしました。しかしこの山は岩山のようで帰り道が岩でボコボコでこれまた大変急な下り坂でした。この道が地元の方々が教えてくれようとした参道であったと降りて振り返った時に神社の名前の入った石塔が建てられていたので納得しましたが、この参道も登りは急で岩だらけなので大変だったと思います。全く舗装されていない険しい山道でした。地図で見てもわからない現地に行ってみて知る事も多々あります。現地の方との交流も大切だと感じました。次回行くことがあればもう一つあるはずの道で行きたいです。うちの地元の神社も山頂にあります。毎年春と夏に参道を掃除して神社に地域の人が参拝できるようにしますが段々と皆年配になり若者が減っていくばかりです。どこの神社も大変だなーと思いました。今後、初めての神社に行く時はよ~く調べて参拝させてもらおうとつくづく考えさせられる経験でした。随分と昔にタイムスリップしたような気分でした。

山道で迷う

以前も初めての神社の空いている駐車場を探してズンズン進んでしまい1本道の神社の脇道をドンドン車で細い山道を登ってしまいUターンする場所も無い田舎道だったので山頂まで行ってしまいました。車のタイヤが新しかったので主人はなんとかなるだろうとガードレールも無い細い山道をくねくね登っていきました。山頂まで行くと雪が積もっていました。スパイクタイヤでも無いし私はぞ~~~~っとして車の後部座席で神様や仏様にすがるように祈っていました。引き返す事も出来ない車幅だったのでUターン出来るところまで行ってみようと家族で決めて峠の雪道を下って行きました。下りきったら雪が積もっていて2又に道が分かれていました。車から降りて偵察しましたが家はあるのですが冬の間は雪が積もるので住んでいないようでした。家族でこの先どうするかと相談しました。右の道は行き止まりのようで左の山道へ行ってみようかと不安な中悩んでいましたが、私は、「ここならUターンが出来るし今は(昼過ぎ)地面は凍っていないしタイヤも新しいから雪で滑らないと思うから来た道を帰ろう!」と主張しました。「知らない道を進んで雪が降ってきて(天気が怪しい)動けなくなったら遭難するよ!」と強く主張しました。

そして来た道を帰っていきました。そこへ前から私たちと同じ感覚で簡単に大通りに抜けられるだろうとやってきた車と正面で鉢合わせになりました。こんな細い道で崖っぷちから落ちたら助からない道でどうしようとお互い焦り、主人が車から降りて相手の運転手の方と話をして相手の車が山際に寄せて、うちの車は崖側をすれすれで通り抜ける事が出来ました。その後は前から車が来る事は無く元の道に戻る事が出来ました。本当に生きた心地がしませんでした。この時ほど山は恐ろしいと思った事はありませんでした。タイヤのスリップを免れて無事に帰ってこれて本当に良かったです。神社には雪は積もってなかったのに山頂では雪が積もっていたので相当標高の高い山で峠の説明が書いてある看板にはビビりました・・トラウマになっています。あまり深みにはまってはいけませんね。もし引き返さずに進んでいたらどうなっていたのかと思うと今でもぞ~~~っとします。のんきな家族ですが知らないって怖いです判断一つで運命って変わるんだーとまじまじと感じる出来事でした。

そして神社の駐車場に車を止めて参拝をしてお守りを家族分購入して渡しました。自宅に何事も無く帰れた事は本当に神様や仏様に救われたんだなぁという気持ちになりました。軽はずみな行動は謹んで欲しいとつねづね思っています。 このような経験から地元の方に神社の道順を聞いたのですが・・・やっぱり山は危険と隣り合わせ・・・あかるいうちに、なるべく午前中に参拝するようにしたいと思っています。

ご縁~これからの望み

私は昔から神社にはご縁を感じていたので自由になったら神社巡りがしたいなと思っていました。主人は私の思想をわかってくれる人だったので旅行をする時は神社に行こうと話しています。私の実家の裏山の頂上に大きな道路が通っていて近くに神社がありました。小学生の時は友達数人と細い裏山のコンクリートの道を上がり、神社の境内でよく遊びました。鳥居の上に石を乗せるといいことがあると聞いてずっと石投げをしたり(昔の話です。)蟻地獄を見たり、歌をうたったり中学生になるまでは冒険気分で裏山を越えていました。少し歩くと橋の上からバイパスが見下ろせて、子供ながらこのバイパスを車で走ってどこか遠くへ行く事が出来るのかな~とか友達みんなどんな人生になっていくのかな~と将来を夢みていました。40数年後の今思い返してみる事が出来ることが幸せなのかもしれません。生きていられて良かったです。今日の朝方、心臓がキュウ~って少し痛みがあって指先がしびれて痛むこともあって糖尿病の薬を中止しているのでちょっと不安ですが運動しようと思いました。がんを乗り越えたのに心筋梗塞とか・・悲しい・・体重を2㎏ほど落としたい現在です。

まだ夢の途中です。これからが本当の私の青春なのです。学生時代は恋愛が出来るような環境でもなかったですし、付き合いたい人もいなかったし、出会いも全くありませんでした。結婚適齢期になりお見合いをしました。主人とは親戚の方からの紹介で1年もお付き合いすること無く結婚しました。ほとんどお互いよく相手の事を知らないまま結婚したような感じです。お互いに賭けをしていたと思います。私達は30歳までに結婚したいという気持ちだけで結ばれました。私は結婚してから絆を築いていければいいかなとあまり深く考えずに嫁ぎました。数回お見合いをしましたが、なかなか上手くいかないもので私の父親も納得するような見合い相手では無い事にイライラしていたのですが主人の場合は親戚からの紹介だったのと年齢の事もあり私が決めた事で諦めたようで反対される事も無く結婚まで進むことが出来ました。父は田舎の考え方で財産のある家(土地持ち)に嫁がさせたかったようですが・・・そんなうまい話はありませんでした。

まーお互いにご縁があったということでしょうか。主人もお見合いを大分したようで、やっと結婚相手を決めてくれたという事で私は主人のご両親にとても良くしてもらいました。今の若い人の感覚とは違うでしょうが、今の時代だったら私結婚出来ていただろうか?と思うくらい私には自由がありませんでした。自由があったとしても私の理想とする結婚が出来ていたかわかりません。むしろ私にはこの選択しか無かったと思っています。私は数回目のお見合いで全く先に進展しない事にしびれを切らして”デートをして既成事実でも作れば結婚できるかも・・と自分の体を傷つけるような事まで考えて悩んだりしました。立派な家に住んでいる方でしたがご縁が無かったようでデートに行く事は無く父がお断りしました。

その後主人とのお見合いの話が来たのですが、もうこれが最後になればいいなと思いながら、考え方を改めて自分を大切にしながら後悔をしないように真剣に結婚に向けて数回ドライブに行きました。ほとんど私が話しかけていたと記憶しています。主人の誠実な人柄を感じながらなんとか結婚まで行かなければと必死でした。紹介してくれた親戚の方に頑固な父の条件を伝えてもらい困惑させてしまいましたがやっと結婚することが出来ました。色々な方の協力で実家を出る事ができました。私はこれで良かったんだと日々自分に言い聞かせています。私は生まれてからずっと家族に守られていたので、行動することに規制がありました。でもそのおかげで傷付く事はありませんでした。結婚後は新しい家族との生活重視でここまでやってきました。

今、主人と2人だけの生活になり、やっと私のワガママを聞いてもらえる環境になりました。私が頑張ってきたのは今現在の環境になれたら本当の夢を夫婦で語れると思っていたからです。恋愛期間が短かったのでこれから2人で動けるうちに楽しい思い出を重ねていけたらいいな~というのが今の夢です。振り返ってみるときっと私のこの度の人生は家庭を持って子育てをする経験を魂が希望したのではないかな~と思われます。そして子育て(カルマ・・魂の成長?)が終わらないと、私の希望は叶えられないシステムになっていたのではないかとも思われます。こんな風なので友達はいません。家族だけが私の支えで生きてきました。ずっとモヤモヤした感情がありましたが様々な動画で色々な人の思考に触れて時代が激変したと感じて心の自由を選択でき私の心の解放がこの場所で出来てうれしく思っています。

しかし現実は厳しいものです。時代も変化しています。私達夫婦は山あり谷ありでしたが何十年も生活を共にしてきたので私達なりの幸せを追求していければいいと考えています。しかし先日テレビで最後の晩餐に何を食べたいかという番組をみました。そのレポーターの方々の豊富は情報に私は嫉妬してしまいました。私も死ぬまでにおいしいものを色々食べて満足してから死にたいーーー!!!と強く思いました。でももうあんまり沢山食べたり飲んだり出来ない体になってしまいました。悔しいです。まー少しづつ味見出来ればいいんですけど・・・。いっぱい食べたいわけではないので、今まで出来なかった事、がまんしていた事を主人と2人でたくさん経験したいのです。私達の夢は膨らみます。話をしているだけでもうれしいのです。そんな関係でいられることが幸せなんだと思っています。来年のゴールデンウイークは旅行に行けるのでしょうか~?今年の頑張りで決まるでしょう。「あなたー頑張ってくださーい。」 神社の名前は伏せさせていただきましたが皆さまにご縁のある神社へ参拝していただければと思います。読んで頂きましてありがとうございました。

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