人生で経験した愛について
幼少期の愛情
私は農家の家に生まれました。父親は家の後を継いでいました。農家なのでやっぱり男の子は大切な存在です。兄は大切な存在なので、わがままも通り母でさえ兄に遠慮して接していました。兄は要領がよく私は尻ぬぐいをさせられる日々、しかも女なので躾のつもりかモラルハラスメントか?家では𠮟られてばかりでした。貧しい家計で全く選択する自由のない生活でした。何をお願いしてもダメダメばかりでした。毎日いつ怒られるのかとびくびくして生きていました。どうして家の親はささいな事にもすぐ怒るんだろうと思っていました。今思えば親は多分それほど怒っているつもりはないのかもしれませんが、自分の思い通りにならない事にイライラして声を荒げていたんだと思います。罵声で子供をコントロールしようとしていた事は確かです。
両親はすごく心配性でした。心が不安定で父親が祖父から受けた辛かった過去を私に訴えるように話すので私は父に同情するような気持ちになり今の現状を受け入れるしかないような心理になりました。私はがんじがらめ・・不幸だと思っていました。私は何も持っていませんでした。イヤな経験ばかりで楽しい経験は思い出せません。(今、物を捨てられ無いのと物欲を満たす事で心を満足させているのでしょう。)ひな祭りもサプライズも何もない子供を喜ばせる気持ちなんて無い貧しさの極みでした。私嫌われていたのかしら?母は家に父の兄弟が里帰りして来る事もあったので神経質になっていた事もあってお見合い話があった時に私に「小姑のいるところに嫁にいったら苦労するよ。」と言っていました。母と祖母は嫁と姑の関係なので立場的に祖母が強く父も頭が上がらないようでした。色々な感情の渦巻く家庭の中で不満しかありませんでした。
貧しくも家族で仲良く・・なんて事はありませんでした。貧しい事が色々な面で家庭に影響していました。つまらない生活でした。いつも私は祖母の部屋で寝ていました。いつまでも眠っていられました。怒られれば私は祖母の部屋へ逃げて泣き疲れて寝ていました。祖母は記憶力の無い私に何度も同じ祖母の昔話を聞かせて、お菓子をくれて相手になってくれました。祖母も父も母もきらいではありませんでした。この環境で生きていくしかないとあきらめていました。(最低限育ててもらった事には感謝しています。)母親はあまり流行に敏感な人ではなかったので遠足のお弁当のウィンナーさえ、どの様に調理すればいいのか知らない人で私が斜めに包丁を入れて焼くんだと教えたくらいでした。あまり社交的な人ではありませんでした。私も社交的では無いし人の名前が覚えられないので友達も作れません。本当に忘れてはいけない人の名前だけは覚えています。
父は私が娘という異性なので可愛がってくれました。母は私が同性なのでなんとなく父に甘える私にやきもちを焼くような気持ちになったのか、つっけどんな対応でした。私はおしゃべりなので下手なことを言うと夫婦喧嘩の元になるので警戒していたのでしょうか?兄とはどうしても仲良くなれませんでした。(私の大切な物を汚したり、隠したり、捨てたりされました。)やっぱり私が父に甘えていた事にひがんでいたのかもしれません。男親と息子の関係ってスポーツとか興味のある物などの共通点が無いとなかなか会話も無く成績だけで評価されている関係のように見えました。私は父に対しての同情心もあり甘えてもいたので兄からの嫉妬を敏感に感じていて日常的にいじめられていました。
私はこの実家で生きていく事、存在価値を見い出す事に必死でした。家族から無条件に愛される存在であれば、私の運命は多分全く違うものだったと思います。(例えば実家の側に嫁ぐとか、ひんぱんに実家に帰るとか、実家を気遣うとか、性格的には自分勝手で意地悪なワガママ要するに兄のようになっていたのではないかと想像します。)小さい頃から私の家族という社会の中で家族の一人一人の行動を観察しながら自分がどのように行動すればよいのかいつも考えていたように思います。だいたい失敗して怒られていました。それは経験不足からなので”知らなかったーしょぼん”(´・ω・`)って落ち込む毎日でした。親が私に教える作業をしない人達だったので毎回何事も失敗していました。その度にあざ笑い親や兄は「自分達は何でも知っている偉いんだーお前は馬鹿だ~」って感じでした。
親からの愛情は「お前は衣食住ができていれば幸せなんだ」と思いこまされていた・・・かな?(とことん頭を押さえつけられるような状況で委縮していたので無茶苦茶な事はしない普通以下ぐらいの子供でした。多分これで良かったのではないかと今は思っています。両親は私に愛情をかけて教育をしていたのだと思うようにします。なぜなら私が自分勝手な行動をしていれば主人とのお見合い話は無かった・・ご縁が無かったかもしれないと思うからです。)高度経済成長と言われていた時代に取り残されたような古い家で、監禁されていたと思うくらい「危ない‼」と注意ばかりされて、あまり出かけた事が無く楽しい経験も無く自由がないつまらない幼少時代でした。家族サービスができる余裕のない環境にジレンマを感じながら行動力が育まれる事も無く、恩着せがましい言葉で縛られ続けましたが、結婚して実家から離れてようやく両親の束縛から解放されました。でも結局のところ今まで私は一人になった事が無いのです。一人で生きた事が無いのです。自立した事が無いのです。鎖で繋がれ続けた象のように、鎖を外されても逃げる事が出来ない、どこへ逃げればいいのかわからない、しかしここはわたしにとっては楽園なので逃げる必要も無い。ただ鎖を外されて自由になったので、自分の意思で選択することができる未来を楽しみたいです。
私は自分が娘を授かったらきっと同じくらい心配して拘束して育てたと思います。しかし私の所には娘は生まれませんでした。私と同じ思いをしないで良かったと心の底から安堵しています。逆に息子だったから早く自立してもらおうと思い育てました。しかし息子は大変主人の両親にいい意味で甘やかされて(手取足取り)育った(親の責任もある)ので今一人になって大変そうです。先々の事を深く考慮しないで今の社会が厳しいので目先の楽なほうへ流されてしまう・・逃げて欲しくありませんが、私達は子供とは割り切った付き合いをするしかないと思っています。私も主人の両親には甘えさせてもらいとても助けてもらい感謝しています。実家の両親も結婚後、体裁もあり援助をしてくれたりして守っていてくれていました。私が実家でがんばってきた事が後々に福徳を得られている事は感じています。
なんだかんだと書きましたが今現在私は衣食住が出来ているこの毎日が幸せなことだった、家族に守られていた、幼少期の経験も今の人生に反映されていると振り返って感じています。あの幼少期があったから、自分が結婚をして家族をもったら仲良く暮らしたい、子供との会話や本の読み聞かせ、生活の知恵を教えてあげたい、旅行や買い物に家族で行きたいなどの夢を持ってそれが生きる希望になっていました。思いは叶いました。それくらい当たり前の事・・・と思われるでしょうが、主人と結婚した事で私は夢に描いていた事を体験できました。幼少期に私は閉じられた縁側から外の道路を眺めながら、いつかここから出られるのかなー楽しい人生はあるのかなと思い詰めるような毎日を送っていた事を思い出すと(小さい頃からおまじないを唱えるほど病んでいました。)結婚してからはとても豊かな人生経験をさせてもらいました。50歳過ぎてやっと親や様々な事から解放されて自由になれたんだと思う反面、ずっと家族に守られていたので、一人になるのが怖いです。自由奔放に育った息子に頼れる自信がありません。
後何年生きられるでしょうか?せいぜい30年でしょう。後30回ほどしか季節を感じることは出来ません。やっと自由になれたけれど一人で行動したことがないので、ウロウロできません。突然、生活を変えることも出来ません。今の平和な人生に幸せを感じています。主人に依存しています。これからも夫婦仲良くしていきたいです。これからの人生は未知の世界です。結婚するまではみじめな人生でしたが結婚してからは主人の両親からは嫁として家族としてとても大切にして頂きました。180度環境が変わった事に驚くくらいに主人の家族も親戚も社交的な人達で常識的な考えのもと私に接してくれました。どうして私が生まれた所は心も体も厳しい環境だったのだろうか?とずっと悩んでいました。結果的に主人の仕事の手伝いも体力はあったので協力できたり甘えぐせがあったので主人の家族にも遠慮なく甘えさせてもらえたり、結婚前までの経験を結婚後に活かせたのでここまで頑張ってこれたのではないかと思います。苦労してきた事で結婚後の試練も昔に比べたらと思えば辛い事も軽く感じられました。家族で乗り越えていけました。
十代の頃の愛情
小学校の高学年の頃は女子の間で誰が好きか?などの話題やバレンタインチョコを作るとか・・私は男子の誰が好きかなー?と思ったりしましたが、私はおりこうさんでは無いし自分に自信も無いし、相手にもされない・・嫌がられているように感じて、行動に移す事はありませんでした。男子の友達もいません。なんだか、女子と男子が一緒にいるとからかわれる環境でした。私は恋愛体質では無いなぁと感じていました。自由もお金も無いし、兄に監視されてチクられるだけだし、親に怒られるのでバレンタインなんて私には関係ありませんでした。軽い感じで好きっていう事も許されない環境だったので、恋愛感情を持つ事もありませんでした。浮かれてはいけなかったのです。私に青春なんてありませんでした。
中学校で学年旅行に行った時男子と一緒に先生に写真を撮ってもらいましたが、後で購入する写真を廊下に張り出した時に私が男子の前で写真を撮っていたのを見て「女子が男子と一緒に写ってるーー。」と大げさに嫌味を言われたりしました。私は”写真を撮るくらい何がいけないんだろう?”と思いましたがこの頃はやっぱり男子と一緒にいると非難される風潮でした。あばず〇ーみたいな悪口・・ちょっと外れた事をすると疎外する時代でした。今の風の時代がうらやましいです。こんなに自由になってしまうとは昔は思っていませんでした。とにかく皆同じように行動する、男性と女性の差別なんて当たり前の時代・・・でしたから私が親になって自分の子供には虐められないために一生懸命、昔のルールを教えていました。時代って変わっていくんですね~ビックリです。一応子供に昔は・・・って教えても、「今はそんなことしないー。」とか言われて、いう事を聞いてもらえることは無く自由奔放な子供・・・しゃーないなー私も昔、父親に「自分はこうだったー。」と言われても”今は昔じゃないしー”と思っていましたから。気持ちわかるーーー、でも一応私の考えは伝えていました。まぁひとつのコミュニケーションですね。理解してもらえてはいませんけどね(^▽^;) 時代の変化についていけてません。
中学校は女子はアイドルにお熱のようでした。私はアイドルは好きでも嫌いでも無く、どちらかと言えばシンガーソングライターの人に憧れていました。テレビのチャンネル権は父にあったので私は部屋でラジオを聞いていました。ラジオから流れる好きな曲をカセットに録音をしてエンドレスで聞いていました。今の学生は皆携帯で動画がみられるので本当にすごいことだと思っています。調べれば何でもみられる環境、世界中の人と繋がる世の中・・・私には奇跡的・・・小学校の頃に考えていた、辞典や調べたい事がコンパクトな機械で出来ればいいのになぁという夢がパソコンや携帯電話で叶えられるなんてーー本当にうれしいです。好きなシンガーソングライターのコンサートに行く事も出来無い学生時代、見たかった、聞きたかったコンサートの動画が今は簡単に無料で見られるーータイムマシーンのようです。不満だらけの学生時代を埋めるように今は動画を見る事で充実しています。我慢して生きてきましたが、今それを埋めていく事が出来ています。これからの人生は行動に移して行けたらいいなぁ・・・なんて・・癌治療をして直ぐに疲れてしまう体になってしまったのに色々と思案してしまいます。今梅雨前で気温差があるせいか?野菜をよく食べていて腸がよく動くので疲れちゃって日中眠くて・・食後横になっています。
高校は専門学校だったので女子だけのクラスでした。今の時代は学科の名前も変わり男子、女子と分けることなく同じクラスになるような科です。今はもっと本格的に学ぶ科になっているようで、たまにテレビで高校の実習を見かけたりして昔と変わったなーと感じています。やっぱり時代ですかね男女の差別が無くなっている事を感じています。高校の時はクラスメートで男性とお付き合いをしている人は何人かいました。なんだか毎日ウキウキしているようでした。私はやっぱり何事も無く、クラスメートに聞かれても「父親が厳しいので無理なんだー。」っと言っていました。高校時は皆、受験も終わり、4年大学に行く学科でも無かったので、ゆるーい感じでした。先生の好き嫌いなどもありましたし、友達に勘違いされて無視される時期もありましたが、なんとか乗り越えました。一人で本を読んだり、編み物をしたりしていました。
中学校の時もお弁当を違うグループの子と1回食べただけで、ハブられたりしました。女同士はめんどくさい事がいっぱいありました。それでも私みたいな個性的といわれる者の結婚式に参加してくれた数人の友達がいた事は感謝しかありません。高校3年間同じクラスで学べてよかったです。ありがとうー今はそれぞれどうしているのでしょう?結婚したら仕事と家庭が中心になったので疎遠になってしまいました。ゴメンね。お互い深入りしない関係だったと思います。それぞれの人生を頑張っていたことでしょう。私の場合は友達への友情から家族への愛情へと移行してしまいました。家族だけが心の支え・・・大丈夫?これからどうなるのかなー
結婚と言えば、学年は違うけれど噂などささやかれていて、その後 働いている男性と付き合って妊娠してしまい結果的に学校を辞めた・・なんて事も聞いたりして、男性と付き合うっていう事はそういう関係になってしまうって事を現実に聞いてしまうと私の中で益々男性と付き合う事の重大性を感じる事になり、付き合うイコール=結婚=祝福されなければならない方程式が出来上がり家族が認めてくれる結婚がしたいと思いました。堂々と実家から出ていきたかったのです。私の中では家族に後ろ指さされるような馬鹿にされるような結婚はしたくない、皆に祝福されたい・・正しい道を歩まなければ許されないのでした。
自分の好きだという感情よりも対外的に認められる結婚をしたいと思っていました。結婚してから愛情を築いていけたらいいと考えてお見合いを選択しました。まったく出会いもなかったんです。これも運命でしょう。お見合いというシステムがあった時代で良かったです。私の人生には恋愛は一度も無く思い出す人もいません。嫉妬や束縛には敏感なので恋愛の駆け引きも苦手です。経験値はありませんが私には必要ありませんでした。祝福されない、結婚出来ない恋愛は悲しい経験になることがわかっていたので、避けていました。”処女を捨てる”なんて言葉は私には理解できません。自分を大切にして欲しいです。・・・まぁ私もお見合いがなかなか決まらなくて、やけっぱちになって、焦ってもうどうにでもなれーって気持ちにはなりました。しかし間違った道へ行く事はありませんでしたが、実家では毎日もめて辛い経験でした。
20代頃の愛情
私は高校を卒業後は就職をしないで、家事手伝いをしていました。就職活動をしていないので友達の会社勤めの厳しさを知りません。もちろん出会いもありません。騙される事も無く変な関係になるような恋愛もなかったので結果的には対人関係で辛い経験が無かった事は良かったのでしょう。社会勉強をするチャンスは無く短大に進学することも許されず、家の自営を手伝うしかありませんでした。給与として月10万円もらっていました。今思えばキツイ仕事だったのに世間知らずとは言え文句を言う気力さえ無く、今はここで親孝行をしておこうと考えて頑張りました。食事の用意も母と協力してやりました。料理の本を買って色々作っていました。私も成長したので実家のムードメーカーになって仲良くない両親をなだめながら仕事を一緒にしていました。家族だけの窮屈で馴れ合いの生活の中で時に辛く空を見上げて私はいつになったら幸せになれるんだろうと泣く事もありました。実家に居続けても未来は無いと思っていました。
24歳の時にあまりにも変化が無くいい事も無いので自分でピアスを開けました。体を傷つけると親に反対されましたが、自分の意思で運命を変えたくて実行しました。今の若い人は何個もピアスを耳に開けていますが、私は両耳それぞれ1か所で十分です。今はイヤーカフなんて流行っていますね。オシャレも自由になっていますね。私は最近やっと心の余裕が出来て淡水パールのネックレスを作ってみました。神社参拝に行く時につけようと思います。神社に参拝するためにおしゃれをする口実ができました。普段の買い物はジーンズばかりなので気分転換も出来て清々しい気持ちになれる場所なのでこれからも色々な場所へ行ってみたいです。・・・ピアスを開けてもいい事なんてありませんでしたが、ピアスをつける楽しみが出来て、アクセサリーを集めて喜んでいました。
25歳を過ぎたらそろそろ結婚適齢期になって親は自由恋愛を許さなかったので私以上に焦るようになりお見合い写真を持って来るようになりました。何でも自分の思い通りに進行させたい父にうながされてお見合いをしました。現実は厳しいものです。お見合いだってSNSだって簡単にうまくいきませんよねー?もうどうしよう・・・って時に主人とのお見合い話が親戚からありました、今思い返せば神様やご先祖様のはからいだったのではないでしょうか?諦めなくて良かったです。救われた思いがしました。
しかし私の心の中では受付がたい事がありました。主人の名前の文字が苦手で書き順を変えて書いていたほど書きづらい文字だったり、年回りが苦手な人と一緒だったりして、この条件なんで?私がイヤだイヤだと思っていた事ばかり・・・と崖っぷちに立たされて・・また試練が来たのか・・・?でもこの人を断ったらもう多分いいお話はないだろうと思ったので、また頑張るしかないと心に決めて結婚まで進めていきました。私は結婚をする事で主人と愛情を育んでいこうと決めました。これは私が実家から主人の家族の一員になる契約なのです。赤の他人同士が絆を紡いでいき、愛情に変えていく、人生を共に生きていく第二の人生なのです。裏切りは決して許されない、神様に誓って結婚するのです。
今はこの選択で良かったんだと信じています。他の道はありませんでした。いい事ばかりではありませんでしたが逃げないでよかったです。結婚当初はもしも主人に変な事や許されない事があれば子供が出来る前に早く離婚しなければいけないと覚悟の上で嫁ぎました。主人に以前付き合った方の写真を見せてもらいましたがやきもちを焼くほどの事は無く、私は彼氏がいた事が無いので後ろめたい事も無く主人と正面から向き合って夫婦を築いていこうと二人で決めました。お互いに隠し事はなかったので信頼して生活ができました。しかしやっぱり私も女なので前彼女と行った場所へ私も一緒に行ってみたい願望はあります。私との経験を上書きしていきたい気持ち・・これから行けたらいいな~だって私達は結婚するために合うことは数回ありましたが恋人としてのデートなんてした事がないのですから。お互い歳をとってしまいましたが、私は主人とこれから恋愛をしていきたいと思っています。やっと私に与えられた自由恋愛です。たった一人の人としか出会いはありませんでしたが運命の人と出会えたので私は幸せです。これが私の人生なのです。できるだけ健康で二人で思い出を作っていきたいです。私達はまだ旅の途中です。